【アフガン旅行記】その2
【アフガン旅行記】18年前の21歳の夏。僕はアフガニスタンの首都カブールにいた。
松本潤一郎 ニッポン釣り紀行 番外編
アフガニスタンに想いを馳せる
その2
SPECIAL THANKS TO YAI YAI TSUSHIN BY LODGE MONDE
西伊豆を拠点にMTBツアーやカヤックフィッシングツアーを手がけるBASE TRESの松本潤一郎氏。彼が綴る「ヤイヤイ通信」というブログを、当ジャーナルでもご紹介させていただけることになりました。 松本氏の魅力溢れる生き方は、その文章にも存分に現れています。今回より18年前に旅したアフガニスタンのお話を全3話でお届けします。
パキスタンからアフガニスタンへ渡るにはカイバル峠を越えなければならないが、その手前にあるトライバルエリア(連邦直轄部族地域)を通り抜けなければならない。このトライバルエリアはパキスタン政府の力が及ばないところで、ツーリストであってもその気になれば武器市場でライフルやロケットランチャーだって買えてしまう。逃亡を続けていたビンラディンもこの地域に潜伏しているとされ、アフガニスタン本土よりも危険な場所とも言われていた。
トライバルエリアに入域するためにはパキスタン政府が出すパーミットが必要だが、この取得には手を焼くことになる。パキスタンの役人たちはあの有名なインドよりも腐敗しているようで、こういった場面で何度も公然と賄賂を要求された。しかもこの役人(もちろんおっさん)は僕の髪を撫で、「キレイだね」とセクハラまでして来る。イスラム圏は自由なセックスがない代わりに、男色が多い。
そういった時は毅然とした態度でこう言う
「これがあなたのイスラミック?(イスラムの教え)」
プライドと信仰心の高い人たちなので、これで大体の問題が改善される。
間違っても感情的になってアラーまで冒涜してはいけない。そこまでやると首を切り落とされる。感情的な揉め事から彼らの神を冒涜し、バックパッカーやツーリストが殺された話は旅の途中に何度も耳に入って来た。
準備を整え、パキスタンの西の町、ペシャーワルのバスターミナルから国境へ行くバスに乗る。目立たないようにあらかじめ買っておいた現地の服、ペロン・トンボンにアフガン帽を被り、バックパックはわざと汚したズタ袋に入れた。ターバンを巻こうとしたら若造にはまだ早いと言われた。どうやらそういうものらしい。アフガニスタンには日本人によく似たモンゴロイドの血を引くハザラ人も住んでおり、この格好で行動していると何度かハザラ人に間違えられた。
トライバルエリアに近づくといくつかの検問があり、入念に荷物や身体を調べられた。途中からはバスやトラックの列に護衛の兵士が付いてくる。それでもピリピリとした空気感は特に無く、バスの運転手と兵士が談笑していた。
カイバル峠を超えて、アフガニスタンへ入る。ここも普段の国境超えとなんら変わりはない。緊張感は少しずつ解れていった。
しかし、カブールの町が近づいていくにつれて雰囲気は変わる。道路の脇に白く塗られた石が等間隔で並べてある。その白い石の先には赤く塗られた石が並ぶ。チャイ屋のおやじにあれは何かと尋ねると、地雷が埋まっているからだと教えてくれた。白い石は地雷撤去済み。赤い石はまだ地雷が埋まっている印。石が置いていない箇所はまだ埋まっているかも調べてもいない場所だという。
カブール市街の外れのバスターミナルから乗り合いタクシーで中心部へ移動する。途中に見えたバザールにはたくさんの人が溢れていて、想像以上に活気があったが、よく見てみると壁に空は無数の銃弾の痕と、屋根が吹き飛んだ建物ばかりだった。街は破壊されていた。
泊まったホテルは断水していてシャワーも使えない。ホテルの向いにあるビルは、カブールでの戦闘が終わる寸前に自爆テロにより爆破されたまま、壁がえぐり取られた状態で放置されている。夜になると街には出歩く人がだれもいなくなった。時折り、治安維持のために派遣されているトルコ軍やEU合同軍の車両が巡回していた。
窓から外の様子を眺めているとホテルの従業員がやって来て
「女を買わないか? 部屋まで連れて来るぞ」
と言った。
驚いた。あのタリバンが倒れたとしてもイスラム圏の、しかもアフガニスタンで売春の誘いがあるとは思いもよらない。この時に戦争というものを生まれてはじめて肌で感じた気がする。秩序が、無くなっている状態。
朝になると、カブールの街は活気を取り戻す。露店の商店が次々と開き、人が街に溢れた。青いブブカを纏った女性たちも自由に外出している。タリバンの時代ではそれさえも許されていなかったことだ。
毎日近くにあるレストランへ食事を取りがてらチャイを飲みに行く。アフガニスタンのチャイは緑茶。これは意外でとても新鮮だった。砂糖を入れて飲む。食事は羊の肉と固く焼いたナンに、付け合わせの野菜は生のニンニク、生のタマネギ、生の青トウガラシ。どれも無茶苦茶に辛い。野菜が不足していたのか、それがアフガンの食文化なのか。
野菜不足を補うためにバザールによく出掛けて行き、フルーツを買った。乾燥した土地で育つスイカやメロンは、味が濃縮されて本当に美味しい。
女を買わないかと言って来たホテルのポン引き従業員と仲良くなると、いろいろと面白い話が聞けるようになった。ホテルでシャワーが浴びれないのでハマムと呼ばれる公衆浴場の場所と入り方を教えてもらう。
「お前は日本人だから(日本人の男は肌もキレイで締まりも良い、って評判らしい!)風呂ではゲイに気を付けろ」
とアドバイスをもらう。
1週間ぶりにハマムで汗と埃を洗い流すと無性にビールが飲みたくなる。パキスタンから続くイスラム圏での飲酒はご法度で、ずっと酒を飲めない状態がこの数か月続いたけれど、これだけ外国からの部隊が入ってきているからどこかで手に入りそうだ。ポン引き従業員に尋ねてみると闇で酒を売っている商店を教えてくれた。
さっそくその商店まで出掛けてみる。店の主に口元で缶を飲む仕草を見せると黙って店の奥へと通された。倉庫の様な場所を抜けて、店の裏にある別の建物の中に大きな冷蔵庫が鎮座していた。
扉を開けると中にはすべてキンキンに冷えたバドワイザー。アフガンの奇跡!! どうやら米軍基地からの横流しらしい。これもまた、戦争の一部。値段はたしか2ドルくらいで良心的。アフガニスタンではインドやパキスタンみたいにぼられる事は一度もなかった。それにしても、乾いたアフガニスタンで飲む数か月ぶりのビールの味はいまでも忘れられない。
ホテルに戻るとポン引き従業員にバドワイザーを1本あげた。彼はうれしそうにしながらも急いでそれを隠した。見つかると鞭打ち刑になるらしい。
(その3へ続く)